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野球の国から 高校野球編

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。シリーズ1は「追憶」と題し、甲子園を沸かせたスター選手から、長嶋茂雄氏のように甲子園には出場できなかった選手までスポットを当て、高校野球の長い歴史を振り返っていく大河連載です。

新着コラム

佐々木信也氏の所属する湘南高が甲子園で入場行進する

1949年(昭24)8月13日。甲子園大会の開会式は華やかなムードにつつまれた。この年から、プラカード嬢による先導が始まった。初出場の湘南は、1勝を目標に参加していた。当時は圧倒的な西高…[]

佐々木信也氏は湘南高のユニホームを着る

佐々木が湘南に入学した1949年(昭24)は、敗戦から4年がたっていた。だが、まだ食糧難の時代だった。佐々木の体もガリガリだった。入学時は身長165センチ、体重56キロしかなかった。佐々…[]

佐々木信也氏の所属する湘南高が甲子園に出場した当時とみられる写真

勉強ができるようになった佐々木は、神奈川県きっての進学校である湘南高校に進学した。1949年(昭24)のことだった。ごく自然な流れで決めた進学先だった。3年前の46年に野球部が創部し、父…[]

80年8月、全国高校野球選手権で優勝し喜ぶ横浜の川戸(中央)

歓喜の瞬間。一塁を守る愛甲の元へ、捕手の片平保彦が走ってきた。2人は抱き合った。愛甲写真を見ると、マウンドの川戸(浩)は1人でガッツポーズしているでしょう。普通キャッチャーはピッチャーの…[]

80年8月、甲子園決勝の早実戦でマウンド上の愛甲と横浜ナイン

川戸浩は、他校なら間違いなくエースになれる実力を持っていた。だが、チーム内に同じ左腕の愛甲がいた。1年生から甲子園で活躍する同級生がいては、なかなか光は当たらない。川戸もちろん「愛甲を抜…[]

80年夏の甲子園決勝、6回から愛甲をリリーフした横浜・川戸浩

早実との決勝戦。愛甲は、初回の先頭打者に中前打を浴びた。愛甲前日から肩が重くて上がらなかった。当日のブルペンでも良くなかったし、いきなり打たれて「今日はダメかな」と思った。初回に連打と送…[]

80年8月、甲子園の宿舎で早実-瀬田工の準決勝をテレビ観戦する安西(左)と愛甲

1980年(昭55)7月。神奈川大会は波乱含みだった。秋と春の神奈川大会を制した東海大相模が、思わぬ形で姿を消した。2回戦で、監督がエースに手を上げた場面が地元テレビに映った。批判が相次…[]





野球

日本ハム大田が充実「打撃の感覚をバシッと決めて」
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